中島らもが活写する「角打ち」

九州の作家は酒屋飲みのことを「角打ち」と明確に書いている。
しかし、九州以外の作家で「角打ち」を使っている小説などをまだ読んだことはない。

中島らもは「永遠も半ばを過ぎて」の中で「角打ち」の場面を見事に活写しているが、「角打ち」という言葉は一言も使っていない。酒屋での「直売の立ち飲み」である。

まあ、しかしこれほど見事に「角打ち」の場面を描写した作品はないだろう。ここに描かれているのは、当に「正統派角打ち」である。

ちなみに、中島らもは関西のひとである。

以下、長くなるが引用する。

 酒屋があった。
 ガラス戸越しに覗くと、 中のカウンターが直売の立ち飲みになっていて、ジャンパー姿のお じさんが一人、手酌でビールを飲ん でいる。私は中にはいった。”いらっしゃい“と声を発したのは五十過ぎだろう、てらてらしたおでこ、福相の主人だ。
 「お酒をください」
 主人は背後の棚をさして言った。
 「何がいいですか、大吟醸、山廃仕込み、生酒、いろんなのがあるけど。ご進物ですかね」
 「そうじゃなくて、日本酒を冷やで、いま、ここで飲みたいのよ」
 主人と、もう1人いた客がぽかんとした顔で私を見た。
 「ああ。ここで立ち飲みされるんですね」
 「そう」
 デコラ貼りのカウンターにビール会社の名前がはいったコップが置かれ、主人が日本酒を注いだ。こぼれる寸前のところでさっと一升壜が引かれた。コップの上には表面張力で日本酒のこんもりとした丘ができた。私は左側の髪をさらい上げて耳の後ろにまとめると、顔をコップ の方へ持っていく。こぼれそうな液体の丘を”ちゅる“と啜りあげる。こぼれる心配のなくなったコップを口元まで運んで一息に半分ほど飲む。何もはいってないお腹がじんわり熱くなる。 残る半分を三口ほどで飲んでしまうと、空のコップをカウンターに置いた。
 「おかわり」 ふと見ると、主人と客が、さっきのぽかんとした顔に戻って私を眺めている。 私は微笑んだ。
 「女の客は珍しい?」
 主人が二杯目を注ぎながら答えた。
 「珍しいも何も、開店以来初めてだよ。いや、えらい時代になったね、これは」
 「女はね。台所で飲んでるのよ、みんな。私は台所では飲まないの」
 「おれは」
 ビールを飲んでいた客が言った。
 「女の人がはいってきたから、一瞬うちのかあちゃんが首根っこつかまえに来たのかと思ったよ」
 主人が間髪をいれず
 「あんたのかあちゃんがこんな美人なもんか」
私たち三人は大声で笑った。なかなか隅に置けない主人だ。私は美人ではない。たぶん平安期なら超美人だったんだろうけれど。首から下もけっこうハニワ型だ。これも縄文期にはモテたに違いない。三平二満ハニワ体型。私は過去の美人の生けるサンプルだ。
 「なにかつまみはないの」
 「その辺の壜にはいってる奴か、缶詰めが良ければどれでも。あっためるよ」
 カウンターの上には、昔駄菓子屋でよく見た広口のガラス壜がいくつか置いてあった。イカの足、魚肉ソーセージ、味つけ海苔。
 「そのラッキョをちょうだい」
 「あ。これは、ラッキョじゃなくてニンニクの紫蘇漬け」
 「じゃ、臭いんだ」

 「全然。これはね、いくら食べても後から匂うなんてこともないよ」
 「それはがっかりね。でも、それください」
 小皿に五,六粒の、紫色をしたニンニクが出された。爪楊枝で一粒口に放り込むと、かりかりと乙な味だ。ニンニクの匂いはどこにもない。
ときどき思い出したようにそれをつまみながら、私は二杯目をゆっくりと飲んだ。
 主人と客は、どこかこの近所の店の改修工事の話をぼそぼそとしている。私に変なおせっかいは焼かない。
 いいバーじゃない“ 私は心の中で微笑んだ。
 こういう立ち飲みにはいったのは何回目だろう。十二、三回目かもしれない。どこでもまずぎょっとした顔つきで見られる。それにももう慣れた。別に敢えて男の聖域に踏み込んでやろうという気はない。これが聖域なら男なんてかわいそうなものだ。
 私は立ち喰い蕎麦だろうが焼肉屋だろうが、一人でずん、ずん、と入っていく。わざと気負ってそういうところへ1人で入った時期も確かにあったけれど、もう十年も前の話だ。いまで は私は何も考えずに、ずん、ずん、とどこへでも入っていく。
 会社の若い女の子にその話をしたら、彼女は言った。
 「それって勇ましいけど。たとえば宇井さんが一人で焼き肉つついてて。それって、”淋しい女”に勘違いされません?」
 阿呆、私はまた一口飲んでから考えた。

(中略)

 私は、三杯目を注文した。
 「強いねえ」
 主人がにこにこしながら酒を注いでくれた。
 「駆けつけ三杯ですわ」
 私は三杯目のコップを、もっとゆっくり啜り始めた。あったかい酔いが胃から脳の方まで昇 ってくる感じがする。

(中略)

 三杯目を飲み干すと、私はお勘定を払って店を出た。七九〇円だった。